過去、現在そしてこれからの春吉の魅力を語るコラム
様々な方が春吉への思いを熱く語るインタビューです
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春吉のイメージ写真と編集後記
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晴好大通りバックナンバートップ>第2回

記憶にとどめておきたい
歴史のエピソードがある。
春吉にはこんな話があるそうだ。
〜「サザエさん」の原風景〜
春日和の午後、春吉小学校の裏手にある路地を歩いていると、猫が古びた石垣の上で気持ちよさそうに昼寝していた。買い物途中のおばさんたちが何やら話をしながら笑っている。すれ違った小学生の女の子が元気な声で「こんにちは」と挨拶をしてくれた。やがて薄暗くなると、家々の窓にあかりが灯り、晩ご飯のおかずの匂いが漂ってきた・・・。 町を歩いていると、何気ない日常の中に平和を感じる瞬間がある。そして、そんなささやかなひとときを大切にしたいと思う。

吉は、漫画「サザエさん」の作者・故長谷川町子さん(享年72歳)が幼少時代を過ごした町として知られている。長谷川さんは1920(大正9)年、佐賀県多久市生まれ。
1932(昭和7)年に春吉小学校を卒業し、14歳の頃上京。「のらくろ」で有名な田河水泡に弟子入りした後、少女漫画家としてデビューを果たす。戦時中の1944年、一家は東京を離れ福岡市西新町(現早良区)に疎開。彼女は西日本新聞社の絵画係に1年余勤務した。
4コマ漫画「サザエさん」は1946年4月、創刊されたばかりの「夕刊フクニチ」誌上に掲載されたのが始まりだ。百道浜を散歩しながら家族構成を考えたという話は有名である


「春
吉清川今昔物語」(同実行委員会編著)によると、幼少の長谷川さんは次のようだったという。「2、3歳の頃から絵が上手で、これは生まれつきの素質のようです。小学1年生の折に描かれた花嫁さんの絵は、カンザシから手の指の1本、1本まできれいに描かれ、周囲の人々を驚かせたということです。(略)小学生の頃の町子さんはちょっとそそっかしく、お転婆で、
お茶目なところもあり、授業中も先生のお話はあまり聞かず、教科書を立て、その陰にかくれて先生の似顔を描かれていたそうです」

校の春吉小を訪れると、1973年に同校が制作した「開校百周年記念誌」という冊子がある。その中で長谷川さんは「思い出の春吉小学校」と題されたこんな文章を寄せていた。

「私
は第二次大戦中、東京から西新町の旧宅に疎開していまして、女の細腕で畳、四畳敷程の防空壕を掘ったものです。そして中に持ち込んだ食糧や衣類等身の廻り品の中に、春吉小学校の1年から6年までの色褪せたシャシンもはいっていました。私の思い出の中で一番懐かしく大切なものだったからです」。この文章を書いたのは53歳の頃と思われるが、それらの写真を眺めながら懐かしい想いで筆をとったのだろう。続けて当時の担任の先生の話、学校の様子などが綴られている。
争中、防空壕の中に「私の思い出の中で一番懐かしく大切な」春吉小時代の写真を持ち込んだ当時24歳の彼女は、その中でじっと身をかがめながら、何を思っていたのだろう?小学校での楽しかった思い出、、友だちのこと、近所の人たちのこと、家族の絆・・・。
推測だが、身近な日常生活の中にこそある平和、その貴さに思いを馳せていたのではなかろうか。「サザエさん」が発表されたのはそれから約2年後。戦争が終わって7ヶ月半が過ぎた頃だった。

「運
動会には、校門の壁に添って梨やクリ、風船等の露店が並び、うちのお手伝さんは早朝からムシロをかいこんで、見物の場所取りに繰り出して行きました・・・」(開校百周年記念誌)とも。現在、小学校は彼女が通っていた昭和初期とはすっかり姿を変えてしまったが、毎年、春吉小では5月に行われる運動会で「サザエさん音頭」を演じるのが近年の恒例行事になっているという。「♪おさかなくわえたドラネコ追っかけて〜」という主題歌に合わせ、全校生徒と保護者らが一緒になって踊るのだそうだ。そんなほのぼのとしたこの町ならではの光景を、来春はぜひ見てみたいと思う。
(寄稿/フリーランスライター・西松宏)
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