過去、現在そしてこれからの春吉の魅力を語るコラム
様々な方が春吉への思いを熱く語るインタビューです
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春吉のイメージ写真と編集後記
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ぴーぷる晴好バックナンバートップ>第2回


キモチよか街にはキモチよかひとがおる、 この界隈で逢うた晴好もんを教えちゃる。
春吉には死ぬまでずっと住みつづけるつもり。便利ですもんね、ここは。
邑田美恵子(むらたみえこ)さん 
◆博多券番 奴ねえさん
<プロフィール>
1926年(大正15年)長崎市生まれ。3人兄弟の長女で8歳の時に父が他界。仕立て屋を営んでた母の知人の紹介で、13歳から博多中洲の料亭にお世話になり邦舞や三味線などの芸を学んだ。それ以来、博多芸妓の道一筋で昭和・平成と生きぬいてきた奴(やっこ)ねえさん。博多の風物詩となった1月「かち詣り」、5月「博多どんたく港まつり」、12月「博多をどり」では艶やかな身のこなしと邦楽邦舞を毎年披露している。

春吉町内にお住まいで芸歴65年の博多芸妓の奴ねえさんにお話を伺った。  

Q1/博多芸妓になるまでのエピソードは?

A1/子供の頃は、昔の玉屋百貨店の裏にあった料亭「なぎさ」の女将さんにとても可愛がられて、一生懸命に芸の稽古をしてましたね。稽古のために東京などにも出かけてました。
16歳ぐらいからお座敷に上がってたんですけど、夜10時すぎると「帰ってきなさい」と女将さんから呼び出しがかかってました(笑)。当時は博多には4つの券番があり全体で2000人程度の芸妓がいて、私が入ってた中洲券番には1000人いました。炭坑景気で賑わってましたね。
でも、戦時体制の昭和19年3月15日に券番は完全に廃止されてねえ。女工さんとして導火線を削ったり、知人の紹介で電話交換師とかやったけど、そのうち長崎に帰りました。戦後の昭和22年に博多に戻って再び芸妓を始めました。そのころ料亭なんてまだ復活してないから、自宅にお客さんを呼んで踊ってましたよ。私は旧券番にいたんだけど、昭和60年には全部の券番が合併して現在の博多券番になったのよ。

(注釈)券番とは?

芸妓の取り次ぎや花代と呼ばれる芸妓の出演料の清算などを行う事務所のこと。
※参照Webサイト「博多の芸妓 http://media-line.or.jp/h_kenban/」より


Q2/住んでいる春吉の街の印象は?

A2/春吉に移り住んだのは終戦後しばらくしてからですね。戦災を免れたこの辺りは、古い屋敷や露地が残っててね。残念だけど、昔は汚い街の印象しかなかったねえ。ゴミのポイ捨てとか、マナーが悪かったし。街全体の整備や開発の具合なのかしら、春吉は福岡で一番汚いよね。
でも最近は、新しい飲食店やマンションが多くなりましたよね。あそこは便利ですもん。中洲にも天神にも近くてもう動きたくないですね。春吉には家を建てたので、死ぬまでずっと住みますよ。春吉はいいところです。今後、ちゃんとしたいいお店が増えるといいですね。

Q3/奴ねえさんの近況を教えてください

A3/12月3日と4日、博多座で開催する「第14回博多をどり」の稽古で毎日忙しいですね。
これは福岡商工会議所のなかにある博多伝統芸能振興会が主催してまして、私たち芸妓衆が総出演し、日ごろから磨いてきた長唄、清元、常磐津など多くの邦楽、邦舞を披露するんですよ。ポスターがあるので、春吉の各お店にもぜひ貼ってくださいね。機会があれば、晴好のイベント舞台にお呼びいただければ嬉しいわね。
取材 2004年10月4日 博多券番の稽古場
文章 長浜弘之(プランニング秀巧社)、写真 比田勝大直(CLEMENTIA)
商売の原点にもどって一般のお客さまをもっと呼び込みたいね。
楠下広師(くすしたひろし)さん
◆柳橋連合市場協同組合 理事長 ◆ひろや商店 代表取締役社長
<プロフィール>
1940年熊本県八代郡生まれ。柳橋連合市場の食料品店で番頭を務めたのち、69年(昭和44年)にホテルや料理店などの業務用食材を販売する有限会社ひろや商店を開業独立。(社)福岡中部法人会の常任理事および第11支部長をはじめに、福岡南天神振興会、福岡中央野球連盟、福岡市ソフトボール協会中央区支部、福岡新宿料飲組合、春吉公民館運営審議会、春吉校区体育振興会など多くの地域活動にも精力的に参加している。

博多の台所である柳橋連合市場の昔の思い出とともに、現在の課題と将来についてのお話を伺った。

Q1/まずは若い頃の苦労話をお聞かせください

A1/いやあ、苦労はしてないけど努力はしました。とにかく「商売をしたい!」という夢と目標をもって八代から博多に出て来たから。まずは社長が同郷だった三栄畳材という会社に住み込みで3年8カ月働いたが、畳材の商売は将来きっと厳しくなるなという危機感を感じて、23歳の時に新聞の求人広告をみて転職した。それが食料品店まるみや。そこで商売の勉強をさせてもらった。雇われる時に親方から「前の会社でいくらもらってたか?」と聞かれたので「私の仕事ぶりを見てから給料は決めてください」と申し出ました。前の会社は住み込みで月3000円で退社時は月4000円でしたが、まるみやの初任給は6000円ももらいました。当時は散髪100円、博多日活100円、作業用ズボン700円の時代。新米店員の頃は、店先でさっと釣り銭が出せなかったのが悔しくて、夜に暗算の練習をして克服したり、努力を欠かさなかった。昭和46年ごろまでは、市場は朝早くから割烹着を着たおかみさんたちでいっぱいでした。店の仕事は朝5時から仕入れが始まり、夜8時までの営業。1年で一番忙しい大晦日は、除夜の鐘を聞いてからやっと店を閉めて、
2時過ぎに掃除して、それから風呂入って、4時ぐらいに市場関係者で混み合ってる柳橋理容
室で散髪。元旦の朝7時すぎに散髪が終わって、それから八代に里帰りしてた。
そうやって仕事してるうちに、市場に男性客がいっぱいおることに気づいた。その男たちは料理店や旅館の料理長。そこで将来的には業務用の商売もいいなと感じたわけだ。
当時はほとんど店頭販売だけだったからね。ある日、親方に「あと3年したら自分の商売をやりたい」と申し出た。親方からは養子の話をもらうほど可愛がられたけど、自分の「商売をしたい!」という初志を貫徹したかった。そうして昭和44年9月18日、ひろや商店を開業した。現在は義理の弟に番頭をまかせて、私は柳橋連合市場の仕事を頑張っているけどね。

Q2/博多の台所である柳橋連合市場の現状の課題は?

A2/商売の原点である店頭での現金売りが重要だと思っている。今、市場に来られるお客の7割が業者で、3割が一般客だと認識している。この一般客を4割とか、5割とかに増やしたい。
業務用の商売は過当競争で消耗戦の時代に突入しているから、市場の原点である現金取引の一般客を呼び戻す努力をする。とにかく接客が大事だから、組合で勉強会を積極的に行なっている。一度来ていただければ、スーパーとの違いがわかるはず。食材を売るだけでなく、調理法まで丁寧に教える、そんなお客とのコミュニケーションを大切したい。金沢の近江町市場や札幌の二条市場など全国の対面市場との情報交換も密に行なっている。

Q3/これからの柳橋連合市場の動きについては?

A3/以前、市場のお客様にアンケート調査をしたところ、回答者の93%が「ここをビルにしたら買物しにくい」との結果がでた。平成3年に地上げが入ったこともあるが、大規模な再開発はしないことにした。まずは地域のお客様、いま利用しているお客様を重視することだ。それでお客様が滑りやすかった市場内の歩道をカラー舗装化する計画をすすめている。また、来年の春には地下鉄3号線が開通するので、何か集客の手を打てるのではと期待している。サンセルコや清川サンロード商店街とともに、晴好の皆さんの活動と相乗効果を図ることが出来ればいいですね。
11月7日には毎年恒例の大起業祭「うまかもん祭り」を開催するので、ぜひ遊びに来てください。
取材 2004年10月13日 柳橋連合市場協同組合事務所
文章 長浜弘之(プランニング秀巧社)、写真 比田勝大直(CLEMENTIA)
お寺が多い街なのでもっぱら、墓地が私の遊び場でしたね
藤 泰澄(ふじやすずみ)さん
◆浄土真宗本願寺派専立寺 住職
<プロフィール>
1950年福岡市生まれ。4人兄弟の長男で小中学と春吉の学校を出て、大濠高校から早稲田大学に進学。学生運動が激しい頃でしたがヘルメットは冠らず卒業。京都の龍谷大学大学院を経て、本願寺派でお得度(僧籍を得ること)をするために西本願寺西山別院に入る。26歳で福岡に戻り、家業であるお寺を継ぐことになる。ビハーラ福岡代表、毎日文化センター福岡講師、九州龍谷短期大学非常勤講師などでも活躍中。

団塊の世代でもある藤住職に春吉の思い出、日頃の活動についてお話を伺った。

Q1/生まれ育った春吉の街の思い出は?

A1/私が子どもの頃は、お寺の前の道がまだ舗装されてなくて、馬が黒い箱を引いて各家庭のゴミを集めてました。舗装されたのは小学生の頃かな。この辺りはお墓が多かったので、私たちの遊び場はもっぱら墓地でしたね。そういえば、お寺の裏に博多織の工場があったので、パッタンパッタンという機織りの音が聞こえてました。この辺りには券番とかもあって、博多どんたくの時はとても賑わってました。そういえば今でも、筑前琵琶と博多にわかの2つのどんたく隊がお寺を訪れますよ。この前などは、お寺で合流してしまって筑前琵琶で演奏する「ぼんちかわいや」をバックに、博多にわかを披露していただきました(笑)。中学の頃になると、ギターに夢中になりましたね。当時の春吉中では、みんな弾いてたなあ。福岡の街が日本のリバプールと云われる素地はその当時からあったんでしょうね。

Q2/ご住職の日頃のお仕事を教えてください

A2/1987年から浄土真宗本願寺派(西本願寺)が始めた「ビハーラ活動」を、福岡代表として13年間ほど行なっています。ビハーラとはインドの古語であるサンスクリット語で「安らぎの場」「寺院」という意味ですね。南区の那珂川病院、城南区のさくら病院の緩和ケア病棟などで、患者さん、その家族、知人のみなさんの精神的な介護とともに、医療や福祉活動を行なっている人たちと生命を正しくみつめる活動を行なっています。新しい取組みとして、今年の4月から当寺の門徒さんを対象に「遺族の集い」というグリーフケアを目的としてカウンセリングを始めました。
これは私が一方的に法話をするのではなく、参加した人の話をひたすらお聴きします。
感想や評価、励ましや慰めなどは行ないません。じっと聴くだけなのです。

Q3/地域に開かれた活動はありますか?

A3/毎年、大晦日には除夜の鐘をつくことができます。韓国の西願寺から寄贈された珍しい梵鐘なんですよ。ぜひ、春吉のみなさんに体験してほしいものです。それから年に1回、8月17日にビデオ上映会やゲームを行なう「こどもの集い」を開催してます。基本的には門徒さんのお子さん対象ですが、地域のお子さんでも申し出があれば検討します。お気軽にお尋ねください。
それから、門徒さんの主催で週1回、健康体操「自彊術」の教室を行なってます。
また、納骨堂(専立寺会館)の1階には、仏前結婚式などが行なえるホールがあるので門徒さんのご協力やご理解をいただきながら、地域のみなさんと連動できることもあるかもしれませんね。
取材 2004年10月15日 専立寺のロビーにて
文章 長浜弘之(プランニング秀巧社)、写真 比田勝大直(CLEMENTIA)
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