学びの輪 晴好夜学

晴好夜学では毎回人生の達人を招いて、達人達の思う“よかまち” ”よかひと”についてお話をうかがいます。

晴好夜学 第8回「一筋の道を守り続けた幕末の女傑の人生に触れる」

谷川佳枝子さん

2011年10月26日

会場:建立寺

講師:谷川佳枝子さん

福岡市出身。幕末の志士に慕われた福岡藩の女流歌人・野村望東尼の足跡を30年来追い求め、2011年に伝記「野村望東尼」を出版した
(問い合わせ:花乱社 092-781-7550)

肉食系女子、キャリアウーマン……など、現代は女性も主張がしやすい世の中になったように思う。「男尊女卑」という言葉も、今ではあまり聞かない。しかし、昔は違ったのだ。「女性は男性よりも弱い立場」とされ、前に立つことを良しとされなかった時代があった。そんな中、血気盛んな志士たちの母のような存在となり、新しい時代を作るために自分が信じる道を一心に貫いた女性がいた。彼女の名は、野村望東尼――。
平尾山荘

望東尼との出会い

 今回「春吉夜学」に招いたのは、望東尼研究家の谷川佳枝子さん。
大学生の頃に望東尼が暮らしていた「平尾山荘」の近くの転居したことが縁で、研究を始めたという。

 「大学の卒論のテーマを何にしようかと決めかねていたときに引っ越したのが、平尾山荘のすぐ近くでした。望東尼が隠棲した場所がここだと知ったのはその後です」

 きっかけはどうあれ、それから30余年もの間、多くの書物を読み、研究を続けてきたというのだから谷川さんの心を動かす"何か"がそこにはあったのだろう。

望東尼の生涯

 17歳で結婚をした望東尼は半年あまりで離婚をする。
24歳の頃、福岡藩主の藩士と再婚をしたのちに4人の子宝に恵まれるが、皆、幼くして亡くなってしまった。
後に夫の前妻の子を3人養子にとるものの、長男が自害するなど、家庭内の不幸が続いたのだ。
そんな悲しみに暮れる夫婦の唯一の支えとなったのが、和歌だった。

  「望東尼は27歳の頃、夫とともに歌人・大隈言道のもとに入門します。そこで彼女の感性は大きく花開き、言道の門人中第一人者となるのです。そして藩士を引退した夫と共に、平尾山荘に移り住みました。ここで、40歳の望東尼が詠んだ歌を皆さんで声に出してみましょう」

山松の木の間の月を眺むればまさに我が身は世をのがれけり

 声に出すことで歌のリズムや雰囲気が掴みやすくなるという谷川さん。確かに、目で文字を追うよりも音の響きを感じられた。

 「この句は、山松の木の間に輝く月を眺めていると、本当に我が身は俗世を離れてしまったのだなあ、という気持ちを詠っています。
平尾山荘に移り住んでからの望東尼は、閑居の暮らしを楽しみにしていたものの、病に悩んだり世事に追われたりと、決して悠々自適な生活を送れたわけではなかったのです」

 1859年、最愛の夫の死をきっかけに、望東尼は出家し、二年後、大坂に渡ることとなる。
京都では災害など、多難の国事を目の当たりにし、憂国の情を抱いた。
また、幼い頃から世の中のことを著述し続けていた福岡藩御用立の呉服商・馬場文英から時勢についての話を聞き、大いに感銘を受けたという。

幕末の志士に託した思い

 その後福岡に戻った望東尼は幕末の志士たちと交流を持つようになる。
次第に平尾山荘は志士たちの隠れ家となっていった。かの高杉晋作もここに潜伏していたという。

冬ふかき雪のうちなる梅の花埋もれながらも香やはかくるる

再び皆で望東尼の歌を声に出して詠む。

 「雪の中に埋もれた花は姿は見えなくとも、花の匂いだけは残っています。この歌はそれに例えて、どんなに逃亡していてもあなたの才能は隠せませんね。という句なのです。望東尼がいかに高杉晋作を見初めていたかがわかります。同時に、高杉が再起することを強く願っていたのですね。高杉だけでなく、望東尼は、平尾山荘を訪れていた志士たちにひとつの願いを託していました」

もののふの大和心をよりあわせただひとすじの大綱にせよ

「互いの志を一つにして、日本を揺り動かす原動力となる一本の大綱にしてほしいという、彼女の思いが込められています。望東尼は子どもを幼いうちに亡くしているので、もしかしたら自分の子どものように志士たちを可愛がっていたのかもしれませんね」

 谷川さんは優しい微笑みを浮かべて語った。

 親子ほど年の離れた志士たちと和歌を通して交流を持ち続けた望東尼。
志士たちをかくまった罪で姫島へ流されるも、彼女を慕っていた高杉晋作らの手によって助けられ、62歳で生涯を終える。

ここで、会場の中から「望東尼はどんな性格だったのでしょうか」という質問が出る。谷川さんは一つの歌を紹介した。

ひとすじの道を守らばたをやめもますらをのこに劣りやはする
(一途に信念を貫いていれば、女性も男性に劣りはしない)

 「彼女は凛としていて筋が通っていたのだと思います。また、前妻の子をわが子のように可愛がったり志士たちをかくまったりと、慈愛にも満ちていたのではないかと思いますね」

 自分の志を信じて国事に奔走した女傑・望東尼。そんな彼女に惹かれ、今もなお研究に没頭し続ける谷川さん。自分の確かな志をもっている女性はこんなにも美しいのであった。

(文:株式会社チカラ 内川美彩 写真:比田勝 大直)